桜のつぼみが・・・。

つい先日、神田川沿いの桜が芽吹いているのに気付いた。まだ花が咲くとかそんな感じじゃないんだけど、春がもうすぐそこまで来ているのかも知れないと思った。相変わらず寒い日が続いたりして、まだ春は先かと思っていても、やはりもうすぐそこまで来ている。おまけに今日はとても暖かくて「東京の花粉なんかたいしたことない」とたかを括っていたはずなのに、くしゃみ乱発、鼻むずむず、目のかゆみ全部来た。花粉症はきつい。

ここ何日かで俺の周りには「卒業する人たち」が何人もいた。彼らにとっては何かからの卒業で、次なるステップを踏む時期。送り出す人たち(こんな言い方イヤなんだけどね)にとって「別れの時期」とも言われる。もちろん卒業する人たちにとっても別れの時期。だけどこの「別れ」っていうのがなんかすんなりこない。
卒業する人たちには、「次に進むんだね」ってのと「おつかれさん」って言う意味で「おめでとう」とは思う。でもこの時期は、なんで「別れ」の時期でもあるの?って思う。そりゃあ、日常的に触れ合ってきた仲間がそれぞれの道に進んで、日常的じゃなくなることを何かの弾みで認識すると急に寂しくなるのも分かる。正直に話すと最近の某お別れ会のあと帰るときには、某プログレシストや某ギターマエストロと握手したときにそれがばれないようにさっさと帰った。
でも、寂しいけど「別れ」じゃないっていう思いが強い。
俺は自分から連絡をマメにとることをしなかったり、周りとの連帯意識があまり強くないぶん、「出会った」奴は忘れないことには存分に気を使っている。ちなみに絶対忘れないと言う保証じゃない。だから再会ならいつでも出来る。と、思っている。
それでも人に対して「別れ」を嫌でも意識するときはある、たまに。
とにかく、別れなんてあるのか?「孤独」という言葉が軸になってプラスとマイナスの両極にそう思う。
人生は出会いの連続というけれど、俺にとってのそれはよくあるように「出会い」と「別れ」が肩を並べるようなもんじゃないな。
まず誰かと誰かが出会う。そのうち彼らは何らかの関係を持ち、時を共有する。何かの理由でそれが出来なくなって、寂しくなったりすることもある。でもそれは、おそらくいつの日かの再会を心から祝えるようにするための神様のちょっとしたいたずらだ。

風に流された種子がどこかで芽を出しやがて花を咲かす瞬間を遠くに感じつつ、この春卒業された皆さんおめでとうございます。