やっちまった、が。

やっちまった。ここ最近その影を潜めていた、寝坊・・・。前日の日記で「サクッと」とか書いておきながら。ということでテストはほんとにほんとに後味の悪い形で終わってしまった。しかし、実は予感していた。というのも、ここんとこ本ばっか読んでるっていうのは、おそらく承知のことと思うけど、最近も俺のハートをがっちりつかんだ作品を読んでいた。読み出すと止まらない例のやつ。夜中ずっと読んでいたそれは『リザーベーション・ブルース』という本で、以前にも紹介したやつだ。著者は1966年生まれのスポーカン・インディアンのシャーマン・アレクシーで、著者紹介のところには「保留地に暮らすインディアンの現状を叙情的に書いた」とある。(以下紹介文抜粋)
「過去百年以上にわたり、だれひとり偶然訪れることのなかった、あるインディアン保留地。1992年、客はしかし突然現れる。毒を盛られて死んだはずの戦前ブルースマンロバート・ジョンソンなる男。悪魔に魂を売ったことで“ジェントルマン”に追われに追われ、救いを求めてある女性を探しているという。
−その女なら、山の上に住むメディスン・ウーマンだ。インディアン青年が男をヴァンに乗せて送っていくと、ヴァンのなかには古ぼけたギターが残っていた。時に鋭い音をたて、わめき、火花を散らすその異様なギターに翻弄されて、青年達はインディアン・ロック・バンドを結成するはめになる。それは閉ざされた保留地から未だ見ぬ新しい外の世界への旅立ちだった・・・・・・。
インディアンの伝統とポップカルチャーがクロスオーバーする現代の保留地を活写して話題を呼んだ、若きネイティヴアメリカン作家のデビュー長篇!」
アメリカ・インディアンに関して、この本やこれまで知ったことからわずかながらに想像できることは、インディアンといってももちろん彼らは現代を生きていて、その伝統を保持しながらも彼らなりに社会問題にさらされているということ。「聖なる」綴りで括られていない彼らの日常とはなんなのか?「過去」の歴史的エキスを充分に吸った「現在」を生きる彼らは希望すら持たずに生きるのか?もちろんそんな疑問が俺の中で解決するはずはないのだが・・・。とかく、この本に出てきた登場人物達は甘ったるい希望という代わりにとてつもない「ファンタジー」を携え生き残っている(誤解を恐れずに書く、生き残るということがどんなことか想像してみよう)。日々の生活に転がっているファンタジーのかけらを拾い集め、それがやがて輝きを放ち始めたとき何かがきっかけでその「ひかり」は一瞬にして闇に吸い込まれるかもしれない。だが彼らは気付いている。昨日まで進んでいた方向と、今日から進む方向は違っていても、また歩き出していることを。その道は果てしなく遠く、どこにたどり着くかは分からない。また同じ場所に戻ってくる場合もあるかもしれない。でも、なにかがあるから進むんじゃなくて、自分の足がそっちを向いているから進むんじゃないのか。こんなことを読み終えて感じた。
ハウル」見ても思ったけど、みなさんファンタジー集めてる!?
寝坊はしたものの夜にはサークルの飲み会があるというので学校に向かい、宴では久々の奴、そうじゃない奴、会ったことあるはずの奴、いろいろな人に再会した。飲み会の前にユニオンで見つけたウォーターボーイズ(日本の映画のサントラじゃないよ!)のCDは今3回目の回転を始めた。
俺は昂ぶっている。