おぞましい巨人

のような存在を今日感じた。とある場所ではおそらく俺は「イタイ」奴だということを悟る。コーヒー豆を砕いて、豆を蒸らし、ゆっくり湯を落とし、いつもの量のコーヒーが出来上がる間に「イタイ」奴であり続けることにしてみた。同時に自分のキャラは俺が決めるものでもなかったり、そんなキャラの自分をプロデュースするつもりはないということも考えた。俺をこの世に送り出したのは、俺の父ちゃんと母ちゃんだけだ(もちろんさかのぼることも出来るけど)。
「イタイ」奴はいかにうまいコーヒーを作れるかとか、この豆はどこからやってくるかについて思いをめぐらす。最近は家以外に自分の居場所がないと感じることが多いんだけどそれでもそんな思いととことん付き合ってみることにする。
夜遅くつけていたテレビでは最近流行のスピリチュアルカウンセラーの江原さんは人間の生き方に関して「生きることは、生き残ることにその価値が凝縮される」というようなことを言っていた。映画の宣伝みたいな内容だったんだけど、いわゆる「マスコミ」とか「マーケティング」とか俺が嫌いな要素はどうでもよいんだけど、世の中を見て掃いて捨てられるみたいな状態で価値観が乱立する中(それはとてもいいことなのに状況としては掃いて捨てられるような状態だと思ってる)で、俺は「生き残る」ことに挑戦しようと思う。
今テレビからはトム・ウェイツが流れてきた。時代は混沌としているようだけど、また太陽が昇ると新しい一日が始まる。